宮大工 (内陣師)として家業を興し、仏壇・仏具を美術工芸の域にまで昇華させた赤澤朝陽。
創業210年を越え、新規事業への挑戦も。
1805-
江戸時代 - 日光東照宮修復工事の責任者として、江戸に移り住む
赤澤朝陽の歴史は、室町時代まで遡ります。京都の宮大工(内陣師)として家業を興し営み、仏像彫刻や、建築に携わっておりました。1805年に、日光東照宮の修復工事のために御用大仏師として江戸に移り、以来技術一本で家業を継いで参りました。
1924-1951
先々代・赤澤朝次郎 - 高村光雲・山崎朝雲に学び、仏壇仏具を美術工芸の域に高める
赤澤朝次郎は、「東京美術学校(現・東京芸術大学)」を卒業後、彫刻家の高村光雲と山崎朝雲に師事しておりました。朝次郎は、彫刻家としての優れた感性から、仏壇・仏具を美術工芸の域まで昇華させました。
1952-2012
先々代・赤澤猛、先代・柴田幹男 - 現在の創価学会の仏壇スタイルを構築する
朝次郎の技術を継承した先々代の赤澤猛と先代の柴田幹男が、今日の『創価学会の仏壇スタイル』を構築。仏壇の電動化にも取り組み始め、1985年には、会館用厨子で初となる電動式扉を完成させました。1979年からは、アジア圏を皮切りに各国へ海外展開も開始します。
2013-現在
日本の伝統技術をさらに世界へ展開。
海外需要が急拡大し、30カ国以上に仏壇仏具を供給(2019年現在)。2018年には新規プロジェクトの「a1805」を発足。異業種とも連携しながら、新たなサービスやハイブリッド製品の開発にも取り組んでいます。